« 素麺のゆで方 | メイン | ジョン・ダンの生涯 »

地方対立とカタルーニャ

カタルーニャ人の独立心の高さは、しばしばバスク人と共にスペインの地方運動の象徴として紹介される。カタルーニャ人自身もこうした運動を「カタラニズム」(Catalanism)と呼称し、殆どの住民が程度の差は在れど、カタラニズムに基づいた政治活動に賛同している。

カルタゴ共和国に起源を持つカタルーニャ地方は古代においては他のイベリア住民と同じくローマ帝国の支配を受けてラテン人化され、中世ではフランク王国のイベリア北部占領でイスラム教徒の支配から早々に逃れた。フランク王がバルセロナ伯国を設置すると、フランク領内の人材が一代限りの伯爵として派遣される事になるが、その中の一人であった南仏出身のギフレ1世多毛伯が世襲化に成功した。ギフレはカタルーニャの主流を占めていた南フランス系移民と旧支配層である西ゴート住民双方の血筋を引いており、同地に住まう人々を一つに纏めフランク王権や周辺国から独立した存在にするなど、今日のカタルーニャの基礎を築き上げた。カタルーニャ人のシンボルたるカタルーニャ旗もギフレが用いた紋章を元としている。

近世に入って大国化したカスティーリャ王国(スペイン王国)がナスル朝イスラム帝国を滅ぼしてレコンキスタを完成させると、程無くバルセロナ伯国は独立を失って従属下に置かれた。だが民族意識の統合に不可欠である文化統一において、南フランスのオック諸語の影響を受けたカタルーニャ語を使い、レコンキスタ完成まで決してスペイン王国に合流しなかった歴史を持つカタルーニャは異端以外の何者でもなかった。カタルーニャ人は度々反乱を起こしてはスペイン王国の悩みの種となり、特に1640年のカタルーニャ反乱(en:Catalan Revolt)は世界帝国に躍進していたスペインが凋落する一つの契機となった。

近代に入って衰退著しいスペイン王国がリーフ戦争での醜態を遠因とする内乱に突入する(スペイン内乱)と、多くのカタルーニャ人は地方運動に理解を示していた政府軍側に付いて戦ったが、フランシスコ・フランコ将軍率いる反乱軍に敗れた。フランコ政権は国家主義的な政策を推進し、カタルーニャを経済的に優遇しつつ、カタルーニャ語の使用を禁止するなど、飴と鞭を使い分けての同化を進めたが、カタルーニャ人はむしろ一層に結束を固めた。フランコ没後の民主化によってカタルーニャ人は大幅な自治権を与えられ、カタルーニャ語は明確にスペイン語とは異なる言語と認められた上で公用語の一つとされる。

現在もカタルーニャ人はスペインの地方運動においてもっとも強硬で、地元議会で独立派・自治賛成派議員が多数を占める上に、カタルーニャ人の利益を代表する政党として結成されたカタルーニャ同盟の議員を中央政界に送り出している。バルセロナオリンピックでは、開会式でスペイン国旗以上にカタルーニャ旗を振り回す観客が多かったという逸話が残っている。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

独立心の高さでとても有名。独立派のデモ隊なんかの報道を見たことがあります。

相互リンク依頼中70
町田 風俗  デリバリーヘルス  宮城 風俗 

千葉県風俗  新宿の風俗情報   

アリバイ  風俗 新横浜  保証人協会 東日本協会 

保証人ボランティア  東京新宿 デリバリーヘルス 風俗 

About

2009年9月10日 12:59に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「素麺のゆで方」です。

次の投稿は「ジョン・ダンの生涯」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。