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ユーゴスラビアの古代

もう忘れちゃったよ。
思い出しながら、しらべてみました。

第一次世界大戦中、汎スラヴ主義を掲げてオーストリアと戦ったセルビアはコルフ宣言を発表し、戦後のバルカン地域の枠組みとして既に独立していたセルビア、モンテネグロに併せてオーストリア・ハンガリー帝国内のクロアチア、スロベニアを合わせた南スラブ人王国の設立を目指すことを表明した。

1918年に第一次世界大戦が終了しオーストリア・ハンガリー帝国が解体されるとクロアチア、スロベニアもオーストリア・ハンガリー帝国の枠組みから脱却して南スラブ人王国の構想に加わりセルビア・クロアチア・スロベニア王国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国)が成立した。

新しい王国の下では、地方行政の区分けが自然の川や分水嶺によって設定されセルビア人やクロアチア人と言った民族の違いによる地域の区分は全く無視された。それに加え、中央集権国家を目指した王国はベオグラードのセルビア人が中心になって運営されたたため、クロアチア人の不満は大きいものとなった。

1929年には国王アレクサンダルが憲法を停止して独裁制を布告し、ユーゴスラビア王国と国号を変更した。1931年に新憲法を布告し、セルビア主義と国王独裁を強めた。このため、クロアチア人の不満はいっそう高まる事になった。1934年、国王アレクサンダルがフランス外相とともにマルセイユで暗殺され、ぺータル2世が即位した。当時、この暗殺はクロアチアの民族主義者の手引きによるものと考えられたが、真相はわかっていない。

アレクサンダル暗殺後はクロアチアの要求をある程度受け入れる方針に転換し、1939年にはクロアチア人の自治権を大幅に認めクロアチア自治州を設立させることで妥協が成立した。しかしこの妥協はユーゴスラビア内の矛盾を拡大しただけで終わった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年12月07日 18:51に投稿されたエントリーのページです。

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